Sunday, December 18, 2011

ポルトガルに母来る(きたる)

12月8日深夜、日本から母がポルトガルへとやって来た!
定刻よりも約30分以上も送れたため、リスボン空港に到着したのは深0時を回っていた。ゲートから出てきた母は、大きなリュックとスーツケース。この荷物の大半は、私のために持ってきてくれた日本製品なのだ!ありがたい♥

英語ができない母は、40人の団体ツアーでポルトガルへとやってきた。
ホテルへ向かう観光バスへ乗り込む際に、ガイドさんにお願いをして、ホテルまで同行させてもらった。ラッキー♫
ホテルで私の荷物を受け取る。沢山の日本食に自分の冬服との再会。うれしい(o^^o)

翌日は、ポルトへと向かうとのことで、タクシーを拾って、自分のアパートへと戻った。
簡単に荷物を整理して、就寝。朝早く起きて、列車でポルトへ向かうつもりだったが、寝坊した。ポルトで一緒に観光するつもりだったのに、現地に到着したときにはすでに夜だった・・・残念。
それでも、母とホテルで一緒に食事をして、夜のポルトの町へと観光へ出かけた。

ポルトに計2日滞在。夜の数時間だけ一緒に過ごしたけれども、とても楽しかった♫

母がポルトガルへ来て4日目、いよいよリスボンへとやってきた。
午前中は学校、その後は母と過ごした。母も毎日、朝早くから夜遅くまでの観光で、相当疲れているようだった。
4日前の夜は、ポルトガル代表音楽のFADOを聴きに、BAIRO ALTOへと向かった。以前、友達の送別会で行った場所だ。
母は、大満足していた♫
ポルトガル最終日には、私の住んでいるアパート近辺の観光名所や、


リスボン一美味しいアイスクリーム屋、ポルトガル一大きなショッピングセンター“コロンボ”、大学へと案内した。
コロンボ内にあるジェットコースター

夜9時頃にホテルに戻って来たころには、二人ともくたくただったが、頑張って、FADOが聴けるレストランへと向かった。(昨日と同じ場所)
店内に入ると、母のツアーの人が沢山いた。色々な人にお店を聞かれて、ここを勧めたので、皆、来ていたのだ。
初めて、FADOの家の料理を食べたが、とても美味しかった。母も絶賛していた。
なにはともあれ、大忙しの6日間だったが、とっても楽しく、充実した日々を母と送れて、幸せでした♥

MUITO OBRIGADA MAE♥ ADEUS!

引っ越し、インターナショナルパーティー♫、ポルトガル2カ月目

11月30日、引っ越し先が決まり、早速その夜に、引っ越すことになった。
新居地は、Restadores。学校までは、乗換1回で約20分と若干遠いが、東京でいう渋谷みたいな町で、駅までも徒歩1分。リスボンに一か所しかないコンビニも2分で行ける。
アパートは、私が初めてポルトガルへ到着して宿泊した宿のちょうど下にあるのだ。偶然としか思えない。

部屋も一目で気に入ったので、大満足である。
引っ越しには、大家さんが車で手伝ってくれたので、あっという間に完了。2カ月間住んだ寮を出た時は、少し悲しかったが、新しい部屋で過ごすうちに、悲しさなんてどこかへ消えてしまった。
とても静かな場所で、住人も穏やかでいい人ばかりだ。今の生活環境に大満足である。
そしてその夜、友達のアパートで、インターナショナルパーティーが開催されるとのことで、夜遅くに訪れた。会場は、沢山の外国人で溢れていた。
まるで、クラブみたいに沢山の人で、自由に歩くことさえできない。たばこの煙で空気も悪かったので、友達の部屋で色々と語って終了。新しい韓国の友達もできたが、母から貰った大切なピアスを片方紛失(;-;) チーン。忙しい一日だった。


~ポルトガルへ来て2カ月目の12月2日~

朝から、寮を出る手続きで大忙し。午後には、クラスメイトと一緒に、各国の物産展が開催されている“BAZAR DE NATAL”へと出かけた。


ブラジルのブースで購入した、リスボンの町がデザインされたビーチサンダル♥ もったいなくて履けないよね!

楽しく買い物していたのもつかの間・・・
アメリカの展示品を見学し、そのブースを移動しようとした時、金髪の女性が、私の袋を指差して、「それはどうしたのか?」と聞いてくる。驚いた私は、あの女性にきちんと支払った旨を伝える。友達がまだ、アメリカのブースで買い物中だったので、待っている間、一体自分に何が起きたのかと、冷静に考えた。アメリカのチョコレートを5€で購入し、袋に入れて持っていただけなのに、いちゃもんをつけられたのだ!頭にきた私は、英語で彼女に話しかけ、「私が盗んだととでも言いたいのか?」と聞いてみた。すると彼女は、少し焦った様子で、ただチェックをしただけだと・・・。腑に落ちなかったが、しょうがないので諦めた。こんな理不尽な目にあったことはない。、この一瞬でアメリカが大嫌いになった。

その夜、どうしても寿司が食べたかったので、お寿司を販売している大型ショッピングセンターへと向かい、念願の寿司を購入。
これで5€
部屋へ戻り、お寿司を堪能した。久しぶりに食べるお寿司は、とても美味しかった(o^^o)満足♥

ポルトガルへ来てからの2カ月、結構長く感じるのはなぜかしら・・・?

Saturday, November 26, 2011

別れの時

ポルトガルの入管で知り合った日本人友達のIが、日本へと帰国する日がやってきた。
帰国日の前夜、彼女のルームメイトと共に、送別会を兼ねてポルトガル代表音楽のFADOを聴きに行くことになった。
初めてのFADOに期待は膨らむ♫
向かったのは、FADOが聴けるBARやレストランが軒を連ねるBAIRO ALTO。以前一回行った印象は、最悪だったが、やはり道にはビール、ワイン瓶のかけらがあちこちに落ちていて、下を見ながらでないと歩けない状態。
FADOが聴けるレストランでの食事はとても高いので、私達はお手頃な値段のレストランで夕飯をすませた。

お腹いっぱいになって、FADOが聴けるレストラン「Caldo Verde」へと向かう。が、食事をしないと入店できないとか・・・友達がなんとか店員を説得して、ドリンク最低5€使えば、よいとのことで入店。
しばらくすると店内が暗くなる。
FADOの始まりである♪
日本に居た時に、ポルトガルの代表FADOシンガー、マリア・ロドリゲスのCDを買って、聴いたことがあったが、あまりにもつまらなくて、1曲全部聴いたことがない。しかし、彼女の歌を聴いた瞬間、FADOが好きになった♪ マイクでもついているのかと思うくらい響きわたる美しい声、そしてなぜだか悲しさが伝わってくるそのメロディー♫ 悲しい曲は好きではないが、中にはリズミカルな曲もあった。
そのリズミカルな曲名を知りたくて、ボーイに声をかけたら、歌っていた本人を呼んでくれた。ラッキー♪ 彼女にとても気に入った旨を伝えると、CDを宣伝してきた。少し高額だとは思ったが、初めて聴いたFADO。とてもきれいな女性でもあったので、記念に購入(15€)。サインも書いてもらったのだ(o^^o) ♪
Fado歌手のJoana Veiga
 

来月、ポルトガルへ来る母をここへ連れてこようと思ったのである。
しかし、ことは簡単には終わらなかった。
会計をしようとしたら、当初の取引よりも高額を請求してきたのである。色々と話し合った結果。私達はその金額を支払わなければいけなくなった。。。15€の損である。
確かに、損をしたのは痛いが、日本でこの様なステージを鑑賞したら、万近いだろうに。
なにはともあれ、私は大満足だったが、友達は、親をここへは案内しない方がよいとご立腹だった。
時刻は深夜0時。友達の家に戻って、テーブルゲームをしようということに。
赤ワイン二杯、ビール、ジンジャー(さくらんぼ酒)を飲んでいた私は、彼女の部屋に着くなり、知らない間に寝てしまった。zzZZ... 人の声で朝4時に目が覚めると、皆元気にトランプで遊んでいる。眠かったが、あと一時間しか彼女と遊べないと思い。頑張って、ゲームに参加した。
朝5時。出発の時刻が来た。
彼女の友達の車で空港へと向かう。外は真っ暗だが、オレンジ色の街頭が美しく輝いていた。
空港には、早朝にも関わらず、たくさんの人がいた。空港で働いている、彼女の友達がカウンターでチェックインを手伝う。すると、まれにない奇跡だが、乗換のイギリスから東京までの区間。彼女の席はファーストクラスになった!!!
私も一回でいいから、そういった奇跡に出会ってみたいもんだ。。。
いざ、別れの時、思わず涙した私を見て、ポル人の友達は「1人失うが、新しい4人の友達がいるじゃん」と、そういう問題じゃないんだけどね・・・(;-;) ありがとう!

  さらば友よ!また日本で会おう ^0^/ ADEUS!



おまけ

Bairo Altoのバーの入口柱に描かれていた、詩人フェルナンド・ペソア。白い部分はコンクリートで、黄色い部分は多分ゴム?誰かのいたずら書きだろうか・・・

♪Thanksgiving ♫

2011年11月23日、クラスメイトのアメリカ人夫婦の家で開催された、感謝祭に招待された。

本来ならば、感謝祭は、翌日の24日木曜日なのだが、24日は、ポルトガル全体で大規模なデモが行われ、交通機関がなくなるために、一日早く開催された。
私にとって初めての感謝祭。ワクワクで♫他のクラスメイトと共に、彼らの家を訪れた。
彼らの家は、とても広く、ベランダからは海も見える。最高!
何よりも、奥さんの家のデコレーションがとても素敵だった。
 大型テレビに、みんな釘づけ^0^ ♪ 

用意された料理を見て驚いた!これだけの量をよくも準備できたもんだと。


全種類を少しずつ皿に盛っって食べた。どれも、アメリカン的な味で、とってもおしかった。

食事が終わると、感謝の言葉を一人ずつ述べるという時間になった。
みな、それぞれ英語でコメントし出す。lol ... 私以外、皆英語が堪能だ。
緊張のあまり、自分の鼓動を感じる。ついに、自分の番が来た。英語が不得意なことを知っている主催者の友は、ポルトガル語でいいよと言ってくれたので、ポルトガル語で感謝の言葉を話そうとしたが、なざか感極まって泣き出してしまった(笑) 自分でも何をいっているのかわからなくなり、後で後悔・・・(^^;) 私の涙をはじめとして、その他の人も数人泣きだした。

その後は、クリスマス映画を見たり、会話したり、とっても素敵な感謝祭でした(o^^o)

I just want to say Thank you very much Mom , my family, my boyfriend, all my friends... Thank you God.

フラッシュバック!!! ~後半~

11月のある日、寮へ戻ると郵便局からの荷物お預かり票が届いていた。日本から荷物が届いたらしい!ワクワク気分で郵便局へ行く。しかし、郵便局員の口から出てきた言葉は「85€です」・・・エッ(・□・;)???
85€支払わないと、その荷物を受け取れないらしい。どうして???
事情を聞いたが、気が動転していたせいか、何回聞いてもよく理解できなかった。翌日、学校の先生を連れて、郵便局へと向う。もちろん先生は日本語を話せないが、郵便局員に理由を聞いて、簡単な言葉で説明してくれた。
日本の友達が送ってくれたのは、マフラーと日本のお菓子。伝票に記入されていたマフラーの値段があまりにも高額なため、ポルトガルの税関で税金を課せられたらしい。
荷物に同封されていた税関の請求書内訳

色々と粘っては見たものの、郵便局員ではどうにもできないとのこと。2日間考えた結果、残念ではあるが、荷物は日本へと戻すことに・・・せっかく送ってくれたのにごめんね(;-;)

※外国へ商品を送る際、値段を書かなくてはいけない郵送方法(ex.EMS)があると思いますが、正直に高額な値段を記入すると、各国の税関で高額な税金がかかります。新品でも“中古”安い値段を書けば、税金はかからないと言っていました。

~寮の部屋替え~
私が住んでいる大学の寮では、年に1回11月頃に部屋替えが行われる。5階建ての寮にはたくさんの学生が住んでいる。その学生全体で集会をして新しい部屋を決めるのだ。長年住んでいる学生から順番に、好きな部屋を選べるシステム。その学生が指示した子なら、一緒の部屋になれる。私はまだ入寮して間もないので、自分の部屋を決める時にはすでに、3人部屋の空き部屋しかなかった。友達に一緒になろうとも誘われたが、学校のクラスも同じで部屋も同じだと、一日中行動を共にしなくてはいけなくなる気がして、断った。結局、名も知らない人の部屋を選んだ。
集会が始まる前の様子
全体集会は、平日の21時30分から始まって、深夜1時近くまで続いた。
部屋決めをする前に、寮の委員長が、寮の決まりや、注意を早口なポルトガル語で話す。あまりにも早くて、きちんと理解できず。くやしかった。
入寮してから約1カ月半。私のまわりだけでも、色々な盗難が起きていた。私は、トイレットペーパー、スプーン2本、食器洗剤。ルームメイトは、干して置いたジーパン、冷蔵庫に入れておいた卵。他の知り合いは、ケーキ、お金、フォーク、フライパン、指輪など。これら全て、この短期間に起きた盗難事件。それだけでも凄いと思っていたが、この集会で、他にも沢山の盗難被害を受けている人がいることがわかった。中には、パソコンを盗まれた人もいた。さすがに、これを聞いた時には、一日も早くこの寮から出たいと思った。ここの寮費は、外国人で125€。ポルトガル人で100€しないらしい。こんなにも盗難が多く、なんでも盗まれている現状をみると、貧しい人が多いせいなのかとさえ思ってしまうのは、仕方ないのではないだろうか?!
また、2人部屋の共同生活でさえ大変なのに、3人部屋はもっと大変である。何が大変かというと、3人それぞれ学科も授業時間も違うので、生活時間が異なる。朝8時から授業が始まる私は、毎朝早起き。でもその他の人を起こさないよに、暗い部屋で準備をしなければいけない。
一番手前が私のベッド

新しい部屋の物入れのカギは壊れているので、貴重品は常に持ち歩かなければならない。最低・・・

ここには、自由とプライバシーは存在しない



現在、新しい部屋を探し中。来月までに引っ越したい!








左奥が私の机


Tuesday, November 22, 2011

フラッシュバック!!! ~前半~

ポルトガルへ来て一ヶ月目を迎えてから、ここ最近、ブログなまけちゃいましたね(^^;) すみません・・・
明日書こう、明日、明日・・・が続いて今日になりました(^^;) まるでダイエット・・・
ポルトガルでの生活も落ち着いて、休日に観光へでかけることもなく、毎日のんびり過ごしている今日この頃です。ここ数日の出来事を順番に、フラッシュバックで書きます。

11月4日金曜日
この日、クラスの皆で初めて遊ぶことになりました。※授業は月曜日から木曜日。
ポルトガルで一番大きなショッピングセンター「COLOMBO」内にある、ボーリング!!!
会場に着くやいなや驚いたことに、室内にジェットコースターが (・□・;)!!!
3周回って3€10セント。安いですね(o^^o)想像以上に楽しかった。満足!

しかも、日本の大手ゲーム会社“SEGA”のゲームがずらりと並ぶゲームセンターも隣接している。会場には、その他にも子供むけのアトラクションが設置されています。
ボーリングは、1ゲーム3€10セント(靴代込)安いですね(o^^o) 安いだけに、床は滑る滑る。ボールは投げ方が悪い?いや、きっときちんとレーンが整備されていないせいか、ボールが曲がる。結果はおしくも2位だったけど、すごい盛りあがった!

楽しかったですね♪ またリベンジしたいです!※後ろの子供は先生の子供です。

11月のある日
朝起きて、ベランダへ出ると、景色は霧で真っ白!霧を見るのは初めてではないけれど、あまり記憶にないので、とても新鮮だった。登校中も、まるで“天国”に居るみたいだねと、友達とはしゃいだのだ。


♪初めてのナイトクラブ☆♫
友達に誘われて、ナイトクラブへ行った。踊りは大好きで、一時期よく日本のクラブに通っていたが、海外のクラブは初めて。
深夜友達と地下鉄でクラブへ向う、駅構内には、ハイテンションな若者が大声を出したり、片手にビールやお酒を持って騒いでいた。階段を下りている時、隣の男のビール瓶が床に落ちて割れた時には、心臓が飛び出るかと思うくらい驚いたし、怖かった(;-;)。地上へ出て、会場への道では、何人かの酔っ払いが私達アジア人のことを見ては、冷やかしていたので、怖かった。※リスボンのクラブでは、アジア人が少ないために、とっても目立つ。
クラブ内は特に変わったこともなく、フツー。日本でもそうなように、もっとすごいクラブがあるんだと思うけど、私が行ったところはただダンスフロアーとDJブースがあるだけ。しっかりカメラ目線のめがねDJは、選曲もテクも顔も一番でした。ちなみに後ろの赤いシャツ男は、DJじゃないのに、ずーっとそこに立って鼻高そうにリズムに乗ってた・・・謎。

夜中1時から朝5時近くまで、エクササイズとばかりに、一生懸命踊ったおかげで、次の日、疲れきって、寝たきり状態。突然の無茶な運動はだめですね(^^;)





Thursday, November 3, 2011

日本を求めて

最近、日本を懐かしく思うことが多い。
何が懐かしいかって!?・・・プールや食事。もちろん家族や友人もそうだが、そこらへんはまだ大丈夫である^.^
泳ぎが得意とかそういった話ではない。プールの塩素の匂いやプールに浸かっているだけで幸せを感じる私。だから、日本で3年間、プールの監視員として働いていた。
プールの場所をネットで探してみたがよくわからなかった。大学敷地内に深さ2m、縦50mのプールがあると聞いているが、利用するには泳力のテストを受けなければいけないらしい。泳げない人はもちろん利用できない・・・変なの。
先日、教室内でプールの話しをしていたら、クラスメイトの娘がスイミングスクールに通っていると聞いた。さっそくその日、プールに行くことに!
住所を教えてもらったが、どうやっていくかわからず途方に暮れる。考えてもわからないと思ったので、一か八かでタクシーで行くことに。(ポルトガルはタクシーが安い)行く先を伝え、終始メーターとにらめっこ。
車で走ること15分。スイミングスクールに到着。 メーターは6.05€で止まった。もし日本だったら大変な金額になっていただろう。



建物に入って友達の案内で更衣室へと入る。

以前、オランダのプールを利用したことがあるので、日本とはだいぶ違った雰囲気だったが、驚くことはなかった。しかし、ロッカーに鍵がついていなくて困った。ここでは各自でカギを持ってこなかばいけないらしい。友達がちょうど鍵を持っていたので、貸してもらった。よかった(^^;)
プール内では授業も行われていたので、自由に泳げるのは数コースのみ。でも自分が行ったときには2人しか泳いでいなかった。
久しぶりのプール(o^^o) 一人一コースという贅沢な使い方。にも関わらず長年のくせなのか、コースロープ右側通行で泳いでしまう自分。天井を見上げながら、目黒プールを思い出す。懐かしい・・・
プールの深さは一方が1.4mで片方が1.6m。水質は悪くないがバンドエイドが落ちていた。元監視員としては気になるところ。なぜだか塩素の匂いはしなかった。また監視員の姿も見当たらない。プールサイドで、授業を指導している人たちはいたが、特に我々を監視している様子はない。変なの。
プールの利用方法がいまいちわからず、隣で泳いでる人に声をかける。またしてもブラジル発音を指摘される。最近その対応に疲れてきた私・・・><;
2人のお客と話をしたが、二人とも同じ内容を話す。話題は“寿司”!!ここポルトガルでは寿司がとても普及している。中国、日本食レストランが多く、寿司がある。私はまだ食べたことがないので、味はわかりません。
彼の話しでは、世界で生魚を食べるのは日本が第1位。そしてここポルトガルは第2位だと!これは驚き情報である。でも日本みたいにスーパーで刺身が売ってるわけではない。
やっと話し終えて50m泳いで戻って来たら、隣で授業していた先生に止められた。これから他の授業があるらしく、一般利用はもう終了だとか。泳ぎ初めて約1時間。それでも閉館まで3時間あるからとゆっくりしていたのに、もう終わりだとは(TT)話し過ぎた・・・泳ぎ足りなかったが、しょうがないので帰宅。帰りは寮までバス。もう場所も分かったのでこれからはバスで行けるが、バスは一回1.75€。日本と変わらない値段。プールは一回2.10€。これもだいたい同じ値段。一回プールに行くのに約700円かかると思うと。毎日行きたいが無理。大学の泳力テストを受ける自信も今日ここへ来て消えた。悲しいですね・・・

本来は撮影禁止。注意してた身分だけに、この写真撮るのに心臓ドクドクでした(^^;)



ポルトガルへ来てから1カ月を迎えた11月2日、食にはこだわりがない方だが、なぜか日本食が懐かしい今日この頃。クラスメイトに教えてもらった“日本のスーパー”へと、期待を膨らませて行った。
店内には日本商品が4,5点のみ。残念・・・

あきらめきれずに、いつも韓国カップラーメンを買うお店がある駅へと向かう。この駅周辺にも日本食品を販売していると聞いたので、人に尋ねながら探した。そしてとある一軒の中国食品店に到着。店内には、日本のカレーのルー、日本米、しょうゆなどがあった。

なかでもカレーのルーが一番うれしかった!色々と欲しかったが高いので、インスタント味噌汁、しょうゆ、カレールーとお米、ラーメンを購入。

寮に帰ってさっそく味噌汁を飲む。あ~(o^^o)幸せ。こんなに味噌汁がおいしく感じるのはいつぶりだろうか・・・欲を出せば、ふりかけが欲しかった(笑)



その日の夜、さらに日本の思い出を求めて、極真空手道場を見学しに出かけた。日本では、恋人が極真を習っている関係で数年間、極真を見てきた。だから私にとって“極真”は日本の良き思い出の一つである。また、ポルトガルへ来たら、始めてみたいと思っていた。
ネットで調べた住所を頼りに、暗い道の中を歩いた。悪天候のせいかあまり道には人影なく、少しだけ怖かった。
アイフォンのおかげで、迷うことなく学校まで辿り着いたが、どこにも極真の文字がない。ビルを見上げると、最上階に電気がついている。しかし、窓ガラスには“ジム”の文字。とりあえず上へあがることに。しかし、そこは古びた建物で、玄関を入るが真っ暗!電気を探したがどこにもない。

まるでお化け屋敷。せっかくここまで来たのに・・・ 結局、怖さを抑え、真っ暗な建物の奥へと進む。エレベーターに乗ったが、ボタンが機能しない。怖さが増す(;-;) それでもあきらめずに携帯の明かりを頼りに階段を上った。やっとジムのドアの前に到着。支配人らしき女性と話しでは、極真の授業はもうやってないとか・・・本日残念2回目。
でも、ブラジリアン柔術ならやっているといことで、興味はないが、来た記念に見学することに。
先生はブラジル人。数人の生徒が続々と教室へと入ってきて、個々に準備運動を始める。
日本の極真しか知らない私にとって、それは以外な光景だった。
先生の靴下、左右違う色してるのが気になる。
柔術は寝技ばかりで見ていてもあまり興味をひかれなかった。やはり極真がいい!
なによりも嬉しかったのは、先生がしゃべるブラジルポルトガル語が聞けたこと♪ 1時間の授業はあっという間に終了。次回授業に参加しにおいでと誘われたが、答えをあいまいにした。
それでも、久しぶりに見る武道の練習。来て良かったと思うのであった。

素敵な一ヶ月目を過ごせたと思う。満足、満足!(o^^o)

Tuesday, November 1, 2011

異国での日本人

とある平日の昼下がり、ビザの諸手続きのために入国管理局、通称“SEF”を訪れた。
約束の時間ぎりぎりに到着。受付の列に並ぶと、すぐ後ろにアジア人の女性?女の子が立っていた。一瞬日本人だと思ったが、一見中国人にも見えたので、声をかけなかった。
自分の番が来て、入国証明書の申請用紙をもらい、記入していると、「AI MIYAZAKI」と連呼している係員の声が・・・「あっ!!!やっぱりあの子は日本人だったんだ」でも彼女の姿はない。しばらく彼女の名前が呼ばれていた。一体どこへ行ったのか・・・。
しばらくして彼女の姿が見え、私の近くに座ったので、声をかけた。一瞬彼女もびっくりしたようだったが、話しやすい子で色々な話を短時間でした。彼女の話によると、ここへ訪れるのは今日で4回目。ビザ更新の手続きをしているらしいが、毎回係員が要求する書類が異なるため、なかな前にすすまないらしい。今まで、色々な人にSEFの噂を聞いたが、悪い噂ばかり。半信半疑だったが、事実なんだと受け止める。全てのSEFでの手続きは予約制で、なかなか予約がとれない。大体数週間待つ。そんな話を聞いてるうちに、自分の名前が呼ばれた。
席に着くと先程とは違う係員が対応してくれた。入国証明書を貼ったページを見せてくれて、もうこれで手続きが終わったかと思い。次回のためにビザ更新手続きについて質問した。すると彼女は自分のビザの種類を見て、「このビザはもうビザ更新できる。この入国証明書は必要ない」と。そして最初に私を対応してくれた係員に、文句を言い始めた。「どうしてきちんと確認しなかったのか・・・など」二人は私を目の前にして、言い合いを始めたので、私が仲介に入って、訳を説明し、ことを終えた。、書類さえあれば今ここでビザ更新ができるというので、そうしてもらった。しかし、申請代金が足りなくて、来月またここを訪れることに。予約用紙を受け取り、終了した。
日本人に声をかけて帰ろうとしたが、一緒に帰ろうということになり、一緒に帰った。
今まで何人かの日本人と出会ったが、彼女ほど話しやすい人はいなかった。
色々な話をして、また遊ぶ約束を。
家に帰って、予約用紙を見てビックリ!私の国籍が“ブラジル”になっている(^^;) 
名前の左に注目!
係員との対応中に、いつものブラジル発音を指摘され、なんかの単語を発した際に笑われた。それでも、どうして自分がブラジルポルトガル語を話すのかを説明したはず・・・政府機関なのにこの対応。さすがポルトガル!

ポルトガルへ来て迎える3度目の週末、SEFで知り合った日本人とボロ市へ行くことに。
毎週土曜日に開かれる“Feira da Lodra"

午後になると警察が現れる関係で、出店数も減るらしい。お勧めは午前中。市バス12番に乗れば目の前に止まります!(ちなみのこの写真は午後です)

ゴミしか売ってないと聞いていたが、以外に色々なものが売っていたので、とても楽しかった。中にはアイフォンや、喫茶店でコーヒーと一緒についてくる砂糖が売られていた。砂糖の山

ポルトガル語のDVDを二本買った。家に帰って確認したが、一本は起動しなかった。まぁ、しょうがない・・・

☆ボロ市で売られていた商品一部
3D・・・手動で絵が変わるカメラ 15€。ぼったくりですね。
おおっ!!!

彼の名前は“ターザン”らしいです。
商品じゃないよ。昼寝中zzZZ...

ボロ市も見おさめ、次は街中を走っている黄色い市電に乗って、消臭力の撮影現場へと向かった。


今まで市電に乗ってみたかったが、ガイドブックに、“市電28”はスリが多いので要注意と書いてあって、避けていた。でも友達が一緒だから大丈夫だろうと。車内は観光客で溢れていた。
溢れてないって!?

しばらく乗っていると、日本語の『地球の歩き方』を手にしている男性を発見。友達が迷わずに声をかける。その早さにビックリ!彼らは、おいしいシーフードレストランを探してるとか。仕事でアフリカへ行く途中で、リスボンには半日の滞在らしい。もうすでに4カ月リスボンに住んでいる友は、一軒のレストランを案内することに。一緒に市電を降りて、店に向かう途中、消臭力の撮影現場近くを通ったので、みんなで立ち寄ることに。

有名なフェルナンド・ペソア像 消臭力の撮影場所※ペソア像の近くにあります。
ケーブルカーにも乗った。

ケーブルカーに勝手にシールを張る観光客。

しばらく歩いて、ガイドブックにも載ってるというシーフードレストランに到着。もうこれで役目は終わった。とおもいきや、食事に誘われた。
予想外であったが、お腹がすいていたので、ありがたかった(o^^o) ラッキー♪
レストランでは、通訳として活躍。美味しいワインと美味しい郷土料理を注文した。
ポルトガルに来て3週間。初めてポルトガルの代表料理“バカリャウ”(たらの料理)を食べた。感激だった。あまり魚は得意ではないが、本当に感動するくらい美味しかった。そしてワインも最高においしかった。また、彼らはとても愉快な人達で、一緒に食事していて、とても先程出会ったとは思えなかった。
この一週間で出会った日本人4人との食事。数時間というとても短い時間ではあったが、楽しい時間を共有できたこと。そして素敵な週末を送れたことに感謝すると共に。異国での日本人との出会いの暖かさに、母国日本を懐かしく思う今日この頃である。

また会うその日まで ADEUS!


リスボンお勧めのレストラン Baleal
  http://www.turisplan.pt/restaurantebaleal/
 料理に合わせたワインを注文して下さい。